成りあがり

  • 著者: 矢沢永吉
  • 印象: 3+ (1-3)
  • 読んだ時期: 2020年10月

 

この本を読む前のことだが、先日家族とキャンプに行って、帰りに高速道路を走っていたら、後ろの窓のほぼ全面に、「E.YAZAWA」というロゴが貼られた白いミニバンを前方に見つけた。

 

子供に、E.YAZAWAがどんな人物か、知らないなりに説明しつつ、あの車を運転しているのは多分、黒い上下のジャージを来て謎のサングラスをかけた、自分とは接点がないであろう50手前のオッサンであろうと想像し、追い越しがてら見てみたらだいたい予想が当たっていて、子供と無邪気に喜んだ。大変失礼な話だ。

 

ほぼ日刊イトイ新聞に、「大人になったコペル君。」という、元京都大学の瀧本哲史氏を偲ぶ (といっても偲んだ感じではない) 対談記事があり、その中で、日本語で書かれた講演録の名著として本書が紹介されており、購入した。

 

上記対談記事の中では、この本は文庫版の2段組の構成であることが絶妙にハマっていた、ということだったので、できれば2段組みを買いたかったが、費用の関係で、1段組の文庫版を購入した。

 

大学生のときに、岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を初めて読んだが、1ページ目から読み始めて5秒くらいで、この本は何かとんでもない本だ、と直感的に思った。この本が、その2冊目だった。

 

僕は矢沢永吉のことをほとんど知らない。曲も聞いたことがない。それでも、矢沢永吉がとんでもない人物であるということを理解した。

 

極度の貧乏 (矢沢永吉の場合はそれに更に孤独というのが加わるのだが) から生まれる悪魔的な力みたいなものに戦慄しながら読んだ。銭で買えないものなどない。ホントの気持ちは、銭じゃない。でも、何歳になっても、完全には人間的になりたくない。この辺の言葉に全てが集約されるように感じた。

 

テープ起こしだけして、ほとんど編集なしで作られた本だと思って読んだ。それだけ常識的な日本語文章として成りたっていない表現が多かった。講演録というのはその通りだと思った。

 

しかしながら、あとがきに糸井重里が出てきて、何かと思ったら、糸井重里がインタビューを聞いて本書を編集したというのをその時に初めて知り、二度戦慄した。

 

矢沢永吉はスーパースターを目指して生きてきた。スターとは五角形のあれのイメージだが、矢沢自身は星であり、あらゆるものを溶かす高熱を発し、通りかかるもの全てを引きつける引力をもつあれだ、矢沢へのインタビューはその引力圏で行われた、といったようなことがあとがきで述べられていた。矢沢永吉が糸井重里に憑依したとしか思えない。

 

この本を読んだ今、E.YAZAWAをミニバンの後方窓に貼り付けたあのオッサンとも少し話をしてみたいという気持ちになった。

 

しかし矢沢永吉の曲を聞きたいとは、今の所思わない。