二つの祖国

  • 著者: 山崎豊子
  • 印象: 3 (1-3)
  • 読んだ時期: 2020年12月

 

アメリカに生まれ、日本で教育を受け、再びアメリカに戻った日系二世が、日米戦争の渦中で、日本とアメリカのいずれの国を祖国として生きていくかで苦悩する姿を描いた小説 (権田萬治の解説文をほぼそのまま引用)。

 

中学か高校のとき、小出先生という地理か歴史の先生が、どういうタイミングか忘れたが、「山崎豊子って知ってるか、あの人の『沈まぬ太陽』は、大人になったら一度は読まなアカンぞ」と急に熱弁したことがあって、自宅でビールを作って (密造して?) いるという古典の先生の突然のカミングアウトと並び、印象に残っている学生時代のエピソードの1つになっていた。

 

大学のときにふとそれを思い出し、読んだことがあり、それ以来に山崎豊子の小説を読んだ。

 

僕の妻側の祖母が3姉妹の三女で、日米が開戦した際、米国に残った両親と2人の姉と分かれ、日本で育ったのだそうだ。僕が2010年頃に仕事でアメリカにいたときに、会社の社長だった塚本さんの家族はもちろんのこと、その祖母の姉およびご家族にものすごくお世話になった。その2人のお姉さんが最近立て続けに亡くなったのだが、コロナの関係もあり葬儀に参列することができなかった (もちろん日本に住む義理の祖母も参列できなかった)。

 

最近図書館で、東野圭吾の小説を立て続けに読みまくっていたので、別の作家のを読もうかと思っていた際、この本が目に止まって、借りて読んだ。

 

主人公である天羽賢吾は、誠実で、かつ自分の信念を曲げない意思の強さを持った人物であり、沈まぬ太陽の恩地元と同じように、ある種の不器用さから、色々な葛藤に思い悩む姿が描写されている。

 

一方で、同じ日系二世でありながら、自分の野心を達成するためにアメリカ人 (白人) と深く付き合い、マッカーサー元師から信頼を得て米国軍人として日本の敗戦処理をしながら出世街道を歩むチャーリー田宮は、沈まぬ太陽でいうところの行天四郎的な位置づけであり、天羽との対立がしばしば描写される。ただし彼には彼なりの日系二世としての悲惨な過去と鬱屈した思いがあり、天羽賢吾にも共感を覚えながら、彼なりの信念を貫く様が描かれている。だいぶ昔の記憶なので定かではないが、行天四郎が小説の大半で恩地元を貶めていく人物として描かれていたように思われ、それとはまた異なる人間関係である。

 

天羽賢吾には二人の弟がおり、三男の勇は米国人としての忠誠を示し、戦後の日系人の地位を向上させるために米軍に志願して欧州戦線に投入される。上の忠は開戦時に日本で在学中であり、日本兵としてフィリピンのマニラで絶望的な戦闘に巻き込まれる。亡くなった祖母の姉2人とはあんまり昔の話をしたことが無かったのだが、2人共日系人と結婚していて、雑談の中で、夫が日系人として米軍に志願し、欧州戦線で戦った みたいなことを言っていたような記憶がある。なので、勇は祖母の姉の夫と、忠は祖母自身の境遇 (もちろん祖母は兵士として戦ったわけではないが) と重なるものがあり、ある種の深い感慨を持って読んだ。

 

本小説は単行本で全4巻の構成だが、大きく分けて前半は戦時中、後半は戦後が描かれている。特に後半はいわゆる東京裁判を中心に物語が展開される。天羽賢吾は東京裁判において、通訳の正確性を監視する「モニター」という業務に米国軍人として従事しており、天羽賢吾の立場を中心として裁判が描写される。

 

天羽賢吾は中高大学教育を日本の鹿児島で過ごし、薩摩隼人に起因する日本の武士道精神を濃厚に持つ人物であり、東京裁判に関しても日本びいきとも取られない言動を行い、たびたび米軍の上司と衝突する (同じ日系二世からも忠告を受ける)。主人公がそんな人物であるので、小説はどうしても日本びいきの記述が多くなりがちなのだが、一方で、東京裁判における主席検事であるキーナン検事が、世界に二度と戦争を起こさせないという高い理想を持って被告の戦争責任を厳しく追求する姿勢を描写するなど、米国側を含む多様な視点を取り入れる努力がされているように思われ、フィクションではあるものの、戦争とは何かというのを人に考えさせる力を持った小説であると感じた。

 

また、本小説において、東京裁判の関係者は被告、検事、弁護士、裁判官など全員が実名になっている。あくまでもフィクション小説なので、細かい心理描写は作者の想像が当然入っているわけだが、裁判の経過や結果については史実に忠実に記載されており、そういう意味では東京裁判について理解を深める上でも有意義な作品であると思う。僕自身、実際A級戦犯がどういう定義でなされ、被告はどういう人物であり、どのような判決が言い渡されたのか、ということを本作品で始めて知った。

 

天羽賢吾は実在した2人の人間がモチーフになっている。その実在した2人の人間のうち一人は、Wikipediaによると、ピストル自殺で生涯を追えている。天羽自身がどういう結末をたどるかは読んでみないとわからないが、この長大な小説では物語の結末というのはそんなに重要ではなくて、物語の所々にもっと大事な区切りが用意されている。個人的には東京裁判における刑執行が行われるところが、物語としての1つの大きな幕であるように思った。

 

沈まぬ太陽は、忍耐力がなく小説で最後は惰性で読んでしまった部分が正直あったが、今読み直すとまた新しい発見があるのかもしれない。