ホワイトラビット

  • 著者: 伊坂幸太郎
  • 印象: 3 (1-3)
  • 読んだ時期: 2020年12月

 

仙台にある住宅街で起こった「白兎事件」という人質立てこもり事件を、それに関わった様々な人間の視点で描写した小説。妻が夏ぐらいに買ったらしいが手付かずのままずっとタンスの上に放置されていたのをたまたま見つけて読んだ。白兎事件はもちろんフィクションである。

 

いつもの伊坂幸太郎の感じで、立てこもり事件の犯人、人質、なぜか巻き込まれた泥棒の黒澤、その他諸々の人々の視点が切り替わりながら、物語が進む。

 

今までと違うのは、小説の語り部的な存在がいて、妙にしゃしゃり出てくる点である。例えば「この警察は後に重要な発見をすることになるのだが、それは後で紹介することにして、まずは泥棒の様子から説明することにしよう」みたいなイントロが各パートの冒頭にあって、そこから小説の本編的な記述が始まる。かといって明確に区切られているわけではなく、本編的な部分にも語り部がちょいちょい出てくる。これは小説を読む限り、「レ・ミゼラブル」のオマージュ的な手法であるらしい (読んだことがないのでわからない)。

 

読み始めのうちは、この語り部がいなくても小説としては成立するのに何でわざわざいるのか? と訝しんでいた。この語り部がわざわざ存在するのは、ここからもしかしたら若干ネタバレになるかもしれないが、多分、この小説は様々な伏線を貼るために時系列をかなりデタラメにしており、読者を混乱から救うために語り部が存在しているのだろうと思った。

 

小説の中に黒澤という泥棒が登場し、どこかで見たことある名前だなと思いながら読んで、最後まで気づかなかったが、このレビューを書く段になって今更、過去の著者のいくつかの作品に登場した、喋る台詞がいちいちかっこいい泥棒であるということに気づいた。

 

伊坂幸太郎の小説は、いやそんなことありえないだろと思いつつ、気になって続きを読んでしまう面白さがあるのだが、それは多分、起こったら面白いだろうな、とか、起こってほしい、と思ってしまうようなストーリーであるからだと思う。白兎事件そのものもそうだし、小説中に出てくる「ワンちゃん大作戦」的な話も、いやいやそんなわけねえだろと思いながら、実際の光景を想像してにやけてしまうようなツボをついてると思う。

 

なので、多少非現実さが過ぎて冷めそうになっても、でももし本当に起こったら面白いよな、という気持ちが買って、読む気持ちがドライブされる感じがある。今回でいうと、オリオオリオとオリオン座にまつわる一連の経緯がそれに該当する (実際、これは流石にどうやねんと思いながら読んだ)。「屍荘の殺人」の場合は、非現実さが勝ちすぎて僕には合わなかった。そのちょうどギリギリの線をつくのがうまいというか、最大多数の人が面白いと感じる非現実さと面白さの境界のところをギリギリついてくる人なのだろうと思った。

 

この小説を読み終えた今、テレビ台の上に「マリアビートル」が置いてあり、ふとしたタイミングで視界に入ってくるのがちょっと気になっているが、一回読んだことがあるので、読もうかなどうしようかなと思っている。