火花

  • 著者: 又吉直樹
  • 心に響いた度: 2 (1-3)
  • 読んだ時期: 2022年8月

 

若手芸人の生き様を描いた、ピース又吉の芥川賞受賞作品。売れてない若手漫才コンビ「スパークス」のボケ担当である徳永が、売れてない先輩漫才コンビ「あほんだら」のボケ担当である神谷に弟子入りして、漫才師するところから小説が始まる。

 

描かれているのは芸人の生き様で、苦悩といってもいい。自分が面白いと思うものを突き詰めることと、世間から面白いと思われることとの間には隔たりがある。芸人として「面白い」を突き詰めるとき、ひとにぎりの天才的な芸人は、このギャップをいともたやすく超越するが、残りの芸人は人生をかけて苦悩する。

  

僕は芸人ではないけど、研究の世界にも似たような苦悩がある (というかどういう仕事にもあると思う) から、芸人が抱える苦悩を何となく想像することができる。研究の場合、ピアという考え方があって、これは、これまでに知られている事実がりんごの中身だとして、優れた研究とか論文というのは、りんごの皮に相当する、分かっていることのギリギリ外側の新発見を述べること、というものだ。新しい発見を笑い、これまでに知られている事実がお客さんと読み替えれば、お笑いの図式になる。

 

時代を作る人間というのは、このピアの考え方に基づくと、、誰も思いつかなかったりんごの皮よりもはるかにに外側をいきなり出してきて、世間に後追いでりんごの中身をその内側に作らせるような存在だったりする。

 

本小説の中で、徳永はりんごの中身から抜け出せない凡人、神谷はりんごの皮のはるか向こうを追求し続ける狂気の求道者として描かれている。そして、本小説の中で唯一の成功者である鹿谷が、ピアにたどり着いた人間である。ただし、鹿谷は、全然自分が意図しなかった形でブレイクに至ったものであり、そこに笑いの残酷さが集約されている。

 

徳永は神谷の才能に心酔しつつも、自分が神谷になれないことに絶望し、その絶望が、徳永と神谷の関係性を少しずつ変えていく。

 

さきほど芸人の苦悩を理解できるような風にと書いたけど、芸人の苦悩は、はるかに狂気じみていて、到底理解できるものではない。それは神谷が小説の最終盤で見せた渾身のボケに集約されている。

 

ちなみに、このピアを判定できる人間は、その業界にしかいないので、研究の世界には、論文の審査を同業の研究者間で行うピアレビューという仕組みが存在するのだが、笑いの世界にもこのピアレビューの仕組みをちゃんと取り入れたのは松本人志であり、松本人志が後世に評価されるとしたら、彼が作った新しい笑いの形と同じくらい、このピアレビューの仕組みを整備した点も評価されるべきだと思う ということはいつかのブログに記載した通りである。

 

小説の中に差し込まれる芸人の台詞は、どれもエッジが効いており、芸人としての矜持を感じる。

 

なんで小説のタイトルが、花火ではなく火花なのかなというのが気になったけど、99%の漫才師の人生は、花火のようにみんなから祝福されるものではなくて、誰が見ているか見ていないかわからないところで人知れず一瞬のきらめきを発するようなものだ というような感じのことを表現したのかなと思った。