• 著者: 高村薫
  • 読んだ印象: 2 (1-3)
  • 読んだ時期: 2024年5月

 

ある絵描きと、元オウム真理教信者によって引き起こされた事件または事故を通して、言語化できない人間存在の本質みたいなものとどう向き合っていくのか的なことを、ひとりの警察官が思索していく話。

 

内容は大変示唆に富むものだが、難解でほとんど理解できなかった。基本的には殺人事件または殺人事件かもしれない事案の真相を、高村小説の準レギュラー的な存在である孤高の警察官、合田雄一郎が解明していく話なのだが、誰が殺したのか、どうやって殺したのかという推理小説の謎解き的な要素は物語の本質では全くなくて、常人には理解できない芸術家、宗教家の思考に肉薄していくことを通して、人間の生死のあり方を解き明かしていくところ、およびそれを解き明かすことなど到底無理であるにもかかわらず限りなく肉薄していく行為がもたらす社会システムの限界や1人の警察官の絶望みたいなものが物語の本質にある。

 

人間の思考には、言語や論理によって表現することのできない何かがあり、その言語化できない思考によって引き起こされた事件を、警察捜査や裁判の形で、言語によって整理し、処理していくことは、必ずどこかに歪みをもたらす。普通の人間であれば、前者を理解できないものとして取扱い、精神障害のような都合のよい概念に歪みを押し込んで、体裁を整える。それが現在の社会システムで求められ、また当然のものとして認識される行為でもある。

 

合田はあくまでも言語化できない思考を追求する。絵描きの父親で宗教家でもある福沢彰之との対話、および彼が殺人犯である息子に書いた手紙、また元オウム真理教信者を受け入れた仏院での住職や雲水との対話を通して、肉薄を試みる。それが警察官としてのキャリアの破滅をもたらすことを予感しながら。

 

文章がとにかく難解。もともと複雑な概念や論理で構成された考えが、宗教家、芸術家特有の修辞的な言い回しをもって語られる。さらに、主人公で物語の語り手でもある合田がとんでもなく難解かつ超頭の良い人物であることから、その難解な言い回しが、読者に補足説明をされることなく、すんなり受け入れられて、どんどん対話が進む。

 

だいたい、こういった物語には、「えっ、それってつまりどういうこと?」と読者の代わりに聞いてくれるアホな舞台回しがいたりするものだが、そういう人物は本作中には皆無であり、とにかく置いてけぼりにされる。特に下巻で、仏教の住職および雲水がオウム真理教について討論するくだりが、100ページくらいに渡って展開されるのだが、あまりにも分からなさすぎて、後半50ページくらいは読み飛ばさざるを得なかった。仏教の諸概念と、哲学的な論理思考が分かっていないと、この対話についていくことはできない。合田の場合、後者が備わっているのはいいとして、前者については、捜査中にいくつかの書籍を読むことで、仏教の専門家と対等に対話できる (すくなくとも、相手の発言に対して適切な問いを立てることができる) レベルまで諸概念を理解できてしまうという超頭脳の持ち主であるため、置いてけぼりにされるのはどうしようもない。

 

合田が最終的に取りまとめた報告書を、担当検事に渡したとき、担当検事はそれを読んで、こんな報告書は意味不明、と合田を罵倒しまくるのだが、僕の場合、担当検事に一定の共感を感じざるを得なかった。

 

物語に登場する弁護士の久米は、いかにも法曹界の成功者として自信に満ちあふれており、言語至上主義のように見えて、実は合田の一番の理解者である感じが、かっこいい。