死神の浮力

  • 著者: 伊坂幸太郎
  • 印象: 2 (1-3)
  • 読んだ時期: 2021年4月

 

GW中にいった有馬温泉にて、家族が次々に感染した嘔吐下痢ウィルスに3日遅れで発症し、胃の痛みに耐えながら読んだ。もしかしたら読むの2回めかもしれない。

 

サイコパス的な人間に理不尽に娘を殺され、色々あって無罪になった犯人に復讐を企てる男 (山野辺) と、その男の生死を見極める死神の話。「死神の精度」の続編で、前作は短編集だったが、今回は長編ものになっている。

 

本作品の中での死神は、人間を監視する立場にある上位存在的なもので、人間と同じような社会構成を持ち、何のためにそうしているのかは語られないが、業務として特定の人物の監視を行っている。死神 (厳密にいうと死神社会の中で監視業務を行っている死神) は、人間の姿になり、1週間その人間と交流し、1週間後に、その人間が死ぬことを「可」とするか「見送り」にするかを決定する。判定基準は個々の死神に委ねられている。

 

登場する死神は、「千葉」という名前の死神で、といっても姿と名前は人間界に現れるたびに変わるのであまり意味がないのだが、前作と同じ死神だと思われる。仕事に特別な思い入れはないが、与えられた業務は面倒なことでも完遂するという真面目なやつであり、これはどの死神にも共通するらしいが、人間界の音楽を愛している。

 

千葉は山野辺に近づくための便宜的な説明として、山野辺の幼稚園時代の友人で、自分も山野辺の娘を殺した犯人に大切な人を殺されたと言い、山野辺の復讐に付き合うことになる。ただ実際には死神なので人間の幸不幸に興味はなく、娘を理不尽に殺された山野辺に対しての同情心もなく、あくまでも業務上の監視対象として付き合っていく。死神の能力 (死なない、聴覚が超鋭い) によって、千葉は山野辺をたびたびピンチから救うのだが、千葉からすれば、それは山野辺と行動をともにするために行動しているだけである (そもそも、死神が監視している間にその人物が死ぬことはないので、放っておいても山野辺が死ぬことはないのだが)。シリアスな場面で「ここで音楽は聞けるか」と尋ねるなど、場の空気を読まない行動を度々する。山野辺 (とその妻) は、素性のしれない千葉に戸惑いを抱きつつも、ほどよい距離感を保ち、達観している千葉に、(結果的に) 心身ともに救われていくことになる。

 

ちょっとネタバレになるが、実は山野辺を殺した犯人にも別の死神がついていて、香川という名の死神によって、山野辺より少し早いタイミングで、「可」「見送り」の判断がなされることになっている。死神の判定基準は人間の善悪とは無関係であるとともに、ちょうど死神社会において「『可』判定が多すぎて人間の寿命短くなりすぎ問題」が発生しており、香川に対しては死神の管理部から「できれば『見送り』にしてほしい」という無言の圧力がかかっている。

そんな感じの背景のもと、犯人と山野辺それぞれの死神による判定と、山野辺による犯人への復讐、犯人による山野辺への反撃が、三つ巴になって物語を推進していく。タイトルも関連するラストシーンでは、千葉にとっては業務遂行のためにやむを得ず取った行動が、山野辺を犯人と直接対峙させることとなり、結末を迎える。

 

サイコパスである犯人と、人生を台無しにされた山野辺がそれぞれに抱える内なる狂気みたいな描写と、千葉の淡々とした業務遂行ぶりの描写とが混ざりあって、読んでてて不思議な温度感になる。