• 著者: 姫野カオルコ
  • 読んだ印象: 3 (1-3)
  • 読んだ時期: 2023年9月

 

1960年代くらいの日本の地方都市で育った、ある家族のひとり娘の人生を描いた話。

 

当時の日本の地方都市の、ボロい家と田んぼと手付かずの森林と放置された空き地で構成される町並みの雑然さと、限られた人間関係から逃れられない閉塞感が、イクの生活の端々に描かれていて、読者に何ともいえない懐かしさと息苦しさを味わわせてくる。

 

イクの父は、終戦後もシベリアで10年間拘留されるという辛酸をなめた後、帰国後はトイレもないあばら家で、庭の地面に穴を掘って小便大便を済ませるという生活をしていた。イクの母は、父とは別の場所 (実家?) で暮らしており、父との結婚生活に半ば絶望しており、かといって離婚するほどの気概もない。父がシベリアにいる間、イクは (なぜかわからないが) 教会の宣教師に預けられていて、父が帰国後に、イクと父と母と3人で、田んぼの真ん中に建てられたレニングラード風の家で一緒に生活することになるが、それぞれが関わり合うことはほとんどない。

 

当時の日本の地方都市はおおらかで、車も少なく、犬は首輪もつけず放し飼いされていた。今でいう「犬を飼う」という概念とは違って、たまたま家の近くに住み着いた犬を気まぐれに世話してやるという程度の、お互いに制約の少ない関係だった。もちろん室内で犬を飼うなんて概念はほとんど存在しなかった。

 

イクの家にはペーという犬が住み着いていた。ペーがいなくなり (放し飼いなので、死んだのかどこかに行ってしまったかもわからない)、ペーがいなくなった後も、イクの家にはいつも犬が住んでいた。イクの父は、イクとほとんどまともに話もしないが、犬にだけはなぜか好かれ、どんなにしつけがなっていない犬でも、父に睨まれると従順になるという、不思議な性質を持っていた。

 

イクは半ば父と母から逃れるために東京の大学を受験し、貸間を借りて一人暮らしをするのだが、イクのもとにはいつも犬がいた。晩年になって、昔飼っていたペーとそっくりの犬が、知らない老人に連れられ散歩しているのをみたとき、イクは自分の人生が何だったのかを知る。

 

馳星周の作品のように、犬と人間の関わりが濃密に描かれているわけではない。イクにとって犬が、自分のことを無条件に愛してくれるかけがえのない存在であるというものでもない。自分が生きるので精一杯という人間にとって、犬は自分の人生に不定期に登場するサブキャラに過ぎない。そういう大多数の人間と同じような境遇の中で、自分に閉塞感を与え続けてきた父親から唯一もらったとも言える、犬と交流する能力みたいなもの、および、それを与えられた自分の人生みたいなものが、自分に取って一体なんだったのかということを、晩年になって、昔飼っていたペーとそっくりの犬が、知らない老人に連れられ散歩しているのをみたとき、イクははじめて知ることになる。