• 著者: 佐藤究
  • 読んだ印象: 3 (1-3)
  • 読んだ時期: 2023年10月

 

元メキシコの麻薬カルテル幹部と、元日本の心臓外科医が、とんでもない違法ビジネスを構築していく話。

 

バルミロは4人兄弟の3男で、他の兄弟とともにメキシコの巨大な麻薬カルテル、ロス・カサソラスを仕切っていたが、ある日新興の麻薬カルテルに襲撃され、3人の兄弟と妻、子供たちを皆殺しにされる。バルミロは追跡を逃れてインドネシアのジャカルタにたどり着き、表向きは露店商を営みながら、自分を襲撃したカルテルへの復讐と、麻薬ビジネスの再興を目論む。

 

バルミロの祖母は、メキシコが存在する前に栄えていたアステカ帝国の子孫であり、バルミロは祖母の影響によって、アステカの子孫であることに誇りを持っている。メキシコシティの地下には、スペイン人によって征服されたアステカの神殿が埋まっており、そこには様々なアステカの神が祀られていた。テスカトリポカとはアステカの神々の中で最も高位な存在であり、その意味は「煙を吐く鏡」である。

 

末永はもともと、日本の心臓外科医であり、数々の難手術を成功させた輝かしい実績を持つ一方で、心臓外科医の巨大なプレッシャーを克服するために麻薬を常用していた。ある手術の終了後、いつものようにコカインを摂取し、車に乗ったところ、赤信号を無視して青年を轢いてしまい、インドネシアに逃亡して、臓器密売のコーディネーターを営みながら、再興の機会を伺っている。

 

末永は、臓器密売ビジネスに末端の人間として関わる中で、一つのビジネスアイデアを思いつく。それはこういうものだ。

 

臓器密売ビジネスの一番の顧客は、心臓疾患を抱える子供を持つ超富裕層の人間である。順番待ちが常態化し、いつになるかわからない正規の臓器移植制度は、待つことが嫌いな超富裕層には耐えられない。そのため金に糸目をつけず違法な臓器密売に手を出す。

 

臓器移植を経験した家族は、バイオセンチメンタリズムという感情を経験する。これは、自分の子供に臓器を提供してくれた人間がどのような人物だったのか、ということを知りたいと思う感情にとらわれることをいう。臓器移植では、合法であれ違法であれ、ドナーとレシピエントの間で接点を持つことはありえない。端的にいってトラブルの元になると考えられるからだ。そのためバイオセンチメンタリズムが解消されることはない。

 

ただ臓器密売のシステムを考えれば、これを利用した人間はドナーがどんな人物だったのかを想像することはできる。従来の心臓密売においては、途上国の貧困層の子供を誘拐して、もしくは親から買い取って殺害し、心臓を取り出す。超富裕層の人間は、自分の子供に、劣悪な環境で育ち、タバコや麻薬を常用していたかもしれない「劣った」心臓を移植したことに罪悪感を感じる。一見完成されているように見える臓器密売ビジネスには、バイオセンチメンタリズムに起因するこのような問題が存在する。

 

末永はここに目をつけた。つまり、良い環境で育った先進国の健やかな子供の心臓を提供することができれば、臓器密売ビジネスにおいて独占的な立場を得ることができる。日本の無戸籍児童を表向きは保護という理由で保護し、人目につかないシェルターに集めて生活させ、注文が来たら、レシピエントにマッチする心臓を持つ子供をドナーとし、「海外の里親が決まった」という理由でシェルターから旅立たせ、心臓を摘出する。摘出した心臓は、日本に停泊中の、マフィアが実権を握る巨大クルーズ船に持ち込み、クルーズ船に隠されて設置されている手術室において、闇医者によってドナーに移植される。そういうとんでもないビジネスだ。

 

バルミロはインドネシアで末永と出会い、ある事件をきっかけに信頼を得て、末永からビジネスの構想を打ち明けられる。家族を殺したカルテルに復讐するには資金と組織が必要であり、これを得るために、末永とビジネスを始めることを決断する。

 

末永の本当の目的は、心臓外科医としての自分を取り戻すことにある。末永にとって心臓とは、複雑さと精巧さを極めた神秘的な臓器であり、このような臓器に、自分の卓抜した手技に挑むことに喜びを見出していた。日本で指名手配犯とされ、二度と正規の医者には戻れない末永にとって、違法な心臓移植ビジネスこそが自分にとっての居場所であり、このビジネスを構築し、心臓移植の第一執刀医に返り咲くことが、彼の本当の目的である。

 

一方で、バルミロにとって心臓とは、アステカの神々に捧げるべき生贄である。自分を裏切った人間をバルミロが許すことはなく、液体窒素で手足を凍らせた後にハンマーで粉砕するというとんでもない方法で拷問した後、生きたまま胸を切開して心臓を取り出し、テスカトリポカに捧げる。バルミロにとって心臓とはそういうものだ。

 

末永とバルミロは、自分たちの構想に必要な人間を探し出しながら、ビジネスを構築し、成功する。しかしながら、二人が持つ心臓に対する考えの違いが、少しずつ歯車を狂わせていく。組織の結末の最後に、土方コシモという、現代に蘇ったアステカの勇敢な戦士みたいな青年が深く関わっていく。そういう話だ。

 

物語は、土方コシモの母親が生まれ育った、メキシコの麻薬カルテルの根城となった街から始まるのだが、日常的にカルテル間の構想があり、一般市民が巻き込まれていくさまがひたすらに壮絶である。またこのような描写を通して、麻薬ビジネスが世界各国の都市に暴力を伴って蔓延している様子が描かれており、社会の闇の深さに圧倒される。バルミロや末永のように狂った人間ばかりではなく、良識のある人間も何人かは存在するのだが、そのような人間も普通に麻薬を常用しており、それが逆に麻薬ビジネスの根深さを暗示しているようで恐ろしくなった。