読書感想: 運命の人
- 著者: 山崎豊子
- 個人的な印象: 2 (1-3)
- 読んだ時期: 2025年9月
沖縄返還にかかる交渉の中で、日米政府間で取り交わされた密約をスクープした記者の人生を描いた小説。実際の事件に基づいている。
沖縄返還交渉にあたり、日本は米軍基地の撤収を求めていて、一部基地の撤収にアメリカは合意したが、土地権者 (米軍基地の土地はもともと地元住民から半強制的に借用されたものだった) に対して原状回復費を支払うことについては拒否していた。この金額は400万ドルであり、返還にあたり日本が米国に支払う諸々のお金 (核兵器の撤去とかに使う数億ドル) に比べれば微々たるものなのだが、米国としては議会に対してこの費用は支払わないと約束してしまっているために拠出が無理なのだという。米国の要求は、原状回復費を支払うのであればその財源は上記日本が米国に支払う諸々のお金にするというものだった。日本としては、これは日本が肩代わりするのと同義であるから、受け入れがたいものだったが、交渉期限ギリギリでこれに合意した。この経緯が説明されたいくつかの外交書類があり、外交上の機密情報として秘匿された。
毎朝新聞政治部の敏腕記者である弓成亮太は、上記の密約の存在に気づき、親しくしていた外交官の秘書である三木昭子を経由して関連する外交書類を入手した。弓成はこの事実を新聞記事として公表したかったが、公表すると書類の入手ルートがばれてしまう恐れがあり、取材源を秘匿するという新聞記者としての大原則に背いてしまうことから、新聞記事ではほのめかす程度にとどめ、ある野党議員に書類のコピーを手渡して国会で追求してもらうことにした。ところがこの野党議員がちょっとアホで、原稿のコピーをそのまま国会に持ち込んだために、書類の出どころがばれてしまい、弓成と三木は機密漏洩の罪で逮捕、起訴された。
裁判では、国民に対する裏切りともとれる上記密約を世間に公表することが罪に問われるべきなのかという、国家秘密と国民の知る権利との対立が争点になっていたのだが、実は弓成と三木との間には男女関係があり、弓成がこの関係を利用して三木を脅して書類の開示を強要したという疑惑が広がった。第一審で弓成は無罪となったものの、第二審では検察が二人の男女関係に焦点を当てて執拗に論証を行った結果、弓成の取材行為に違法性があったと認定され、弓成は逆転有罪の判決を受けた。最高裁への上告は却下され、足掛け6年以上に渡る裁判の末、弓成の有罪判決が確定した。
裁判を通して弓成の人生は崩壊した。新聞社を辞職し、家族とも離れ離れになった。ただ弓成の妻である由里子は最後まで離婚することはなく、ギリギリのところで弓成を信じて支えた。弓成は一度は廃人同然になるが、何人かの優しい人々からの力添えによって復活し、沖縄に移住して日本返還後の沖縄を取材し続けた。
感想としては、大変面白かった。沈まぬ太陽のように、結局は社内の内輪の権力闘争というものではなく、国家機密と国民の知る権利 のような公共性のあるテーマであるため面白く、一方で、大地の子のように、飢えに苦しんで人肉を食べかけるような凄惨な場面が出てくるわけでもなく読みやすい (ただし後半の沖縄戦のところでは大変凄惨な当時の様子が語られる)。
一番興味を持ったのは新聞記者の生き様というか取材のあり方である。記者は日々の取材の中で、あの手この手を使って取材対象から情報を得ようとする。その中には当然機密情報も含まれる。取材対象は、政治部とかであれば議員や外交官などの国家公務員であり、杓子定規にいえば新聞記者は国家公務員から機密情報を得て新聞というメディアを通してそれを公表しようとする、機密情報漏洩野郎でしかない。
一方で、新聞記者がこのような活動を行わなければ、国家運営はすべて秘密裏に行われることになり、国民全体にとって不利益であったり、公務員の私腹を肥やすだけの決定がなされかねない。新聞 (というかメディア) が有する公共性のために、新聞記者の取材活動は、国家の機密保持と国民の知る権利の対立構造の中で絶妙にバランスを取って成立している。
取材対象との関係も、必ずしも信頼関係があるから情報が出回るというものではなく、信頼関係がないからこそ、誤った情報、偏向された情報が世間に流れないように、敢えて情報を記者に流す、という行為も行われている。このような、清濁併せ持った新聞記者の生き方は大変面白いなと思った。
気になる点はいくつかあった。まず原状回復費の財源にかかる密約については、もらったお金をどう使おうと勝手なのに、そこまで問題になるものなのかというのがいまいち実感できなかった。国のレベルになると財源も色々出てくるから、重要な議論なのだろうとは思うけども。事件の詳細はかなり複雑だが、日米の交渉、その取材の経緯、および裁判の様子はかなり克明に描かれており、理解が追いつくようになっているし、仮に追いつけなくても臨場感を感じることができる。
また、弓成の妻に対する態度が結構ひどい。逮捕された後もまともに由里子に話すこともなく、離婚したいならいつでも同意する的な感じで、1人やさぐれて裁判に没頭している感じがある。最後の場面で、由里子が弓成のもとを訪れるのだが、ここでも夫婦の関係が完全に回復するものではない。弓成は事件によって人生を破壊されたわけだから、妻といえども他者に対して思いやりの心を持てないというのは実際問題としてリアルな描写ではあるかもしれない。
また、最後の1/4は弓成が沖縄に移り住んでからの半生が描かれているが、急に沖縄の現状を描くドキュメンタリー風の展開になり、若干展開についていけなくなる。
最後に、由里子に淡い恋心を抱くいとこの鯉沼玲は、別に登場人物としていらなかったのではと思う。